カップ麺と褪せた背表紙

人間的であったり非人間的であったり、一般的であったり限定的であったりするようなことを、不定期に書いていきます。

寒い自意識と小説家気取り

 中学の、確かあれは1年生の頃の話だったと思う。太陽が痛い程ギラギラと照りつける夏の暑い日、学校指定の文房具屋(体操服とか上履きとかを売っている小さい店。タバコ屋も兼ねている)まで歩いて行った帰り道、信号待ちで突っ立っていると見知らぬお婆さんに話しかけられた。
 曰く「仕事なんだからちゃんと看板持って立ってなきゃダメじゃないの。こんな風に道に倒しておいたら危ないでしょう」と。
 見ると、黒く熱を帯びたアスファルトの上には、確かに看板が寝かされていた。マンションの内覧会か何かを案内する、大きな矢印が描かれた手持ちの看板が。
 お婆さんの急な世間話かと思った俺は、はぁとかえぇとか、愛想笑いを浮かべて適当な相槌を打った。
「そうですね、確かにこれじゃ危ない。こっちにでも立て掛けておきましょうか」
 そう言って俺はその看板を掴み上げて、通行の邪魔にならないような位置に無造作に立て掛けた。
「あらごめんなさいね。あなたが看板持ちの仕事をしてるのかと思ってしまったわ。全然違う人だったのね」
 そのお婆さんは、驚いた顔で俺にそう言った。
 驚きたいのはこっちである。当時中1で、ましてや服装だって7分丈のズボンにTシャツ1枚という、決して仕事中と思われるはずもない出で立ちの俺が、まさかお婆さんにその仕事をしていると思われていたなんて想像できるわけもない。既に信号は青く灯り、俺は呆けた顔をしながらそれを渡ることしかできなかった。

 7,8年も前のこの出来事を急に思い出した。あれはなんだったのだろうか。今でこそ実年齢よりは僅かばかり老けた顔つきをしている俺だが、当時は中学1年生。年相応に幼い見た目をしていたつもりである。看板持ちのアルバイトに間違われるような要素などどこにあっただろう。
 お婆さんの顔など最早全く思い出せやしないが、それでも特になんてことはないこの出来事と、その日のぽっかりと抜け落ちたような機械的に青い空だけは、何故か脳裏にしっかりと焼き付いている。



 いやこれ何? なんでこんなの書いてんだ俺?