カップ麺と褪せた背表紙

人間的であったり非人間的であったり、一般的であったり限定的であったりするようなことを、不定期に書いていきます。

冗談とデマの境目はどこに存在するのか

実は今まで隠してきたんですけど羽生結弦くんとはいとこ同士です。嘘です。

前の記事から半年近く間が空いてしまいました。申し訳ない。平舘です。

嘘が好きなんですよね。嘘を言うのも、言われるのも好きです。

嘘って面白いですから。薄味の生活にスパイスをもたらしてくれる。

普段の発言の6割くらいは嘘です。人を笑わせたり、あるいは人が騙されている姿を見て笑ったりするための嘘。でもこういうのも虚言癖になっちゃうんですかね。ちゃんと嘘だと自覚しているし、冗談である旨をタネ明かしもしてますけど。


それで今回の話題は、或る友達に言った冗談の話です。


その友達は現バイト先の同僚で、バイト先の中では結構仲のいいほうです。俺が普段から嘘しか言わないことなんて知ってるであろう関係です。LINEやTwitterやインスタも交換しています。

3月末、その友達と一緒にご飯を食べている時に「旅館の仲居としてリゾートバイトをしたい」ということを話しました。これは嘘ではなく本心で思っていることです。
そして4月1日、僕はTwitterでこちらのツイートをしました。


もちろん嘘です。エイプリルフールなので。

さらに彼にはLINEで「店長にバイトを辞めるって伝えた」と送りました。もちろん嘘です。エイプリルフールなので。

まぁ確かにここまで、一連の流れのような嘘を言ってしまった俺も悪いのですが(というか嘘を言っている時点で全面的に俺が悪い)、めちゃくちゃ心配させてしょんぼりさせてしまいまして。申し訳ないことをしたなぁとちょっと反省しました。


これは個人的についた嘘で個人的な範囲で騙してしまった例ですが、特にTwitterでは個人的・身内で面白がる程度の冗談が広がってしまって、デマだと批判される例をよく見ますよね。ああいうのを見ると批判されている人が可哀想で仕方ないなと思うんですよ。

冗談を冗談と認識できない人ってどういうことなのか理解ができなくて(これはそういう人たちを非難しているわけではなく、ただシンプルに理解ができない)、そういう人たちって冗談だったと分かったらさらに腹を立てているような気がします。なんなんだろうアレは。

ユーモアがないっていうのとはちょっと違う気がします。たぶんそういう人たちもお笑い番組とかは見るだろうし。お笑い芸人のネタなんて全部が「冗談」じゃないですか。嘘や冗談が面白いという感覚は多くの人が共通して持っているはずで、その持っているはずの感覚がTwitterでは失われているというのがよく分からないです。

少し予想できるのは、そういう人たちはTwitterのことを面白ツールだと捉えてないんじゃないかなということですが、俺からして見たらTwitterほど嘘と現実が入り乱れている様が面白い場所なんて他になくて、やっぱり不思議に思えます。

Twitterが大衆に広く普及したからこそ、理解のある人ほど嫌な思いを受ける場所になっているのかもしれないな。



でも冗談とデマの境界を見抜けない人のことを理解できないのと同じように、きっとみんな職にも学にも就かない俺のことも理解できないでしょ? うるせえな自分でも理解できてねえわ。