カップ麺と褪せた背表紙

人間的であったり非人間的であったり、一般的であったり限定的であったりするようなことを、不定期に書いていきます。

バーガーキング ~その王たる威厳~

目が覚めた。やけにハッキリと夢を見た。普段はあまり夢を見ない──見ているけれど覚えていないだけかもしれないが──俺にしては珍しく、記憶に残る夢を見た。



バーガーキングでワッパーを頬張る夢を見た。




外出自粛が取り沙汰される前は、働いているバイト先の近くにあるバーガーキングに足繁く通っていた。少なくとも週1以上の頻度で足を運んでいたバーガーキングだが、残念ながら家の近くにバーガーキングはないんだ。バイト先が休業になって2ヶ月近く経つ今、それと同じだけバーガーキングにも行けてない。

身体がワッパーを欲している。アレはまるで麻薬だ。ワッパーの中毒性は計り知れない。まさしく精神安定剤。天からの贈り物のようなハンバーガーさ。

バーガーキングは素晴らしい飲食店さ。バーガーキングに行こうと思うだけで心が浮き足立つし、ワッパーが入った紙袋を提げて歩く帰り道はスキップしたい気持ちを必死に抑え込まなきゃいけない。ベージュの包み紙を剥がす時なんて、口元が緩むのを抑えられない。バーガーキングは気が利いてるから、包み紙を全て開くと、ハンバーガーが正面を向いてそこに佇んでいてくれる。マクドナルドのように「またハンバーガーが逆さに入ってますね」なんてことは起こらない。かの大物YouTuberも、あのときバーガーキングに行っていれば真っ当な人生を歩めていたかもしれないのさ。

そして遂にワッパーにかぶりつく。この時に衆目を気にしちゃあいけない。頬に付いてしまったコク深いワッパーソースも、口からこぼれ落ちそうになるシャキシャキのレタスをずずっとすする音も、そんなものはどうだっていい。ただそこに美味なハンバーガーがあって、それを頬張る。食うか、食われるか。たったそれだけのことさ。ワッパーを前にした時、ヒトは獣にならなくちゃいけない。そうすることがワッパーへの礼儀。ワッパーに対するビッグリスペクトを表現するにはこれしかない。傲岸不遜なそのハンバーガーを喰らう我々も、傲慢でなくてはならないんだ。

一呼吸置いてコーラを飲む。その喉越しはどんなビールよりも最高さ。またワッパーを頬張る。無心に喰らいつくワケじゃあない。目の前にワッパーがあれば、それを口に運ばずにはいられないんだ。手は、歯は、胃は、止まらない。

そして最後のひとくちを飲み込んで、紙ナプキンで口と手を拭う。丸めた包み紙には、心地よい満足感と浮ついた切なさが半々。でもこれで終わりじゃない。そう、ポテトがまだ残ってるじゃないか。一心不乱にワッパーと向き合った先程までとは打って変わって、それはまるで別れた恋人を想うバーカウンターの情景。ゆったりとポテトをつまんで、熱くなった体を落ち着かせていく。この時間が切なさを癒してくれるんだ。

ポテトも食べ終わって、いよいよ食事はおしまいさ。コーラのカップを揺すれば、カラコロと氷が歌う。それはまさしく祝福の歌。食材への、そして素晴らしい贈り物をくれたバーガーキングへの感謝の歌だ。ワッパーを食べれば、心が弾けて踊る。テーマパークのどんなアトラクションよりも最高の体験が味わえる。バーガーキングは最高のハンバーガーショップで、ワッパーは本当に最高のハンバーガーだ!


さて、ごちそうさまでした。