カップ麺と褪せた背表紙

人間的であったり非人間的であったり、一般的であったり限定的であったりするようなことを、不定期に書いていきます。

ピーナッツ醤油県のサイケデリック宇宙服

あけましておめでとうございますっていう挨拶はギリ2月中は許されると思ってます。今は3月です。あけましておめでとうございます、平館です。


今度千葉県で県知事選挙があるみたいですね。公約に「マックスコーヒーを全国区に」と掲げている人がいたら是非応援したいところです。残念ながら俺は埼玉県民ですが。

で、選挙の話題があがる度に思うことがあるのです。選挙に立候補する人の気持ちが分からないな、と思うのです。

人間の仕事に対する考え方は、主に2つに分けられると考えています。ひとつは「仕事は人生を豊かにするための、金を稼ぐための手段である」という考え。もうひとつは「自分が楽しめる、やりがいを感じられることをしたい」という考え。まぁ現実には家業を継ぐのが当たり前だったなどの人たちもいるとは思いますが。

ただ、政治家という職を前者の考えで選ぶ人はきっといないですよね。金を稼ぐにはもっと確実で効率のいいやり方があるでしょうから。特に地方自治体の議員なんてそんなに給料高くないみたいですし。だからきっと政治家になりたがる、選挙に立候補する人たちはみんな政治の力で社会を変えてやりたいという野望のある人たちか、あるいは政治の力で社会を変えるという行為に喜びを憶える変態たちなんでしょう。

けれど実際は世にいる政治家の多くはそんな野望があるようにはあんまり見えません。自分の中ではニュースなどで表面を触れる程度にしか政治を掘り下げていないので、実はもっと奥深くまで掘り下げていけば世の政治家もみんな野望にあふれているのかもしれません。でもそれは表面には出てきていない。だから知らない。俺が知っている政治家のイメージは、偉い先生の軍門に下って靴を舐めたり、あるいは会食を重ねて裏工作に走ったり、そういうやつです。そのイメージが正しいのかは知りませんが、ただ、そんなことをやりたいと思って政治家になった人はいるのかなぁと考えてしまいます。きっと大きな野望があったはずなのに、その野望を持ち続けられないような環境なんでしょうかね。

政治家に立候補する人の気が知れないなぁという話でした。


いや、無職が何を言ってるんだ?