カップ麺と褪せた背表紙

人間的であったり非人間的であったり、一般的であったり限定的であったりするようなことを、不定期に書いていきます。

クリスマスのインフレ(京風)

最後に書いた穴のゲームの記事、174日前だってよ。どうもブログではだいぶお久しぶりです。平館です。

クリスマスってウザいですよね。どうウザいかって、まずクリスマスを商機と考えている企業がウザいじゃないですか。で、それにまんまと乗っかってしまったミーハーやウェイがウザい。そのウザいけれど明るく輝いている存在に憎しみと憧れを抱く暗くて寂しい日陰者たちがもうこの上なくウザい。
知るか。明るいヤツが明るくクリスマスを楽しむのは全く構わないけれどそれに憧れているのにそれを公言するのが恥ずかしいとかそんなチープなプライド持ってる根暗野郎の無様な姿が見ていて不快なんだよカス。

と、そういう俺もまぁクリスマスの事は嫌いじゃないし、できれば楽しみたいし、男友達や或いは女友達、ひいては恋人と過ごせたらなんて想像するんですよ。想像するだけじゃなくて適当に当たりつけて誘ったりもしてました、実は。11月下旬くらいから色々アタックしてた。
その結果は想像にお任せしますが、結局今までの人生でそういう眩しいクリスマスを過ごしたことがない気がします。

小学生の頃くらいまでは家族と美味しい夕食を囲んで、ケーキも食べさせてもらって、更に25日の朝には家に飾っていたツリー(なんかめちゃくちゃ本格的で高さ2mくらいあったしオーナメントも多くて本当にすごい豪華だった)の足元に飾った大きな靴下(これは縫い物が趣味の母親に作ってもらった)にプレゼントが入っていて、まさに理想的で幸せいっぱいのクリスマスをすごしていました。

そして、そのクリスマスにすごく満足していたんですよね。
もちろん俺が過ごしたクリスマスがとても幸福で、俺が感じた幸福と同じくらい幸せなクリスマスを家族で過ごすことができなかった人達が多くいるのも知っています。なので、このクリスマスに満足するのは当然であるし、或いは満足できないのであればそれは家庭環境に恵まれすぎているということ、金銭感覚が一般離れしているということでもあります。
それを理解した上でお話するので気を悪くしないで聞いて欲しいのですが、サンタさんにお願いしたプレゼントが高価すぎて目当てのものがもらえなかったとしても、生クリームがくどすぎて体調を崩してしまったとしても、ローストチキンで手や口や服を汚してしまい半べそをかいていたとしても、些細な不満がありつつもすごく満足していました。

なのに何故、今18歳の俺が過ごしているクリスマスは満足できないんですかね。プレゼントやケーキはないにしても、クリスマスだからと親が作ってくれた少し豪華なメニューが食卓には並びますし、それを俺は無償で食べられるし、家族ですごして何も寂しくないし。それなのにどうして心はもっと上質なクリスマスを求めるのだろうか。

きっと今の俺よりも質素で寂しいクリスマスを過ごしている人は本当にたくさんいるだろうし、それでも今の俺より幸福になっている人もたくさんいるはずです。

俺の心が、脳がこれまですごしてきたクリスマスに飽きてしまって、もっと濃くて新鮮なクリスマスを味わいたいからですよ。答え出ましたね。

そこまで答えが出ていて、でも味付けを濃くすることは叶わない。濃い味にしたくても、中途半端なところまでは行くのに実際に醤油や味噌を入れるまでは至らない。ウザ。

どれだけ御託を並べても、今年過したソシャゲの周回をしながらピザポテトを食べて明石家サンタを見るクリスマスはもう取り消せないですね。口の中はベタベタするし、胃もたれもすごい。胃にはもう、1杯のお茶すら入るスペースは残されていない。

そんな僕に素敵な味付けを施してくれる一流のシェフが見つかる日を、僕は待ち望んでいます。