カップ麺と褪せた背表紙

人間的であったり非人間的であったり、一般的であったり限定的であったりするようなことを、不定期に書いていきます。

自己啓発系ブロガーにだけはなりたくない

今1個別の記事を書いてるんですがそちらは近日公開ということで急に出てきたこちらの話題をどうぞ。ひらたてです。

「勉強ができることと賢く頭を使えることとは違うよ」と、それなりにそこそこ多くの人が口にするよね。それはその通りで、確かに物理の難しい問題が解けたって文化祭を盛り上げるための革新的な素晴らしいアイデアを出せるとは限らないし、どれほど中国の歴史に造詣が深くても孔明のような狡くて新しい戦術を生み出すことは難しい。全然成績はだめだめだけどいつもハッと驚く発言をしている友人知人はたくさんいます。

これをお読みの皆さんはきっと俺が高校を中退したことを知っていると思います。その高校は、まぁ進学校と言っていいかな。勉強することとその学校で行われる勉強のスタイルが嫌で逃げ出した高校だけど、それでも進学校なんだよね。授業に出れば否が応でも「勉強」のシャワーを浴びてた。授業に出てたのかよってツッコまれると胸を張って肯定はできないけど。

それに対して今は勉強どうなのかと言うと、これがマジで何にもしてない。新しいバイトを始めたからその仕事を色々学んでいる期間ではあるけれど、数学やら英語やらはもちろん、資格の勉強だとか、趣味で始めたいことだとか、そういうものも全くなくて勉強をしていない。だから俺はもうかれこれ実質2年ほど、勉強から身を引いていることになるのです。

勉強から身を引いていると何が問題なのか。答えは簡単で、本当にマジで全く何も覚えちゃいねえことです。勉強をしなくなると学んだこと達はどんどん忘れていくことに気づいて、それに気づいた時には手遅れだった。英語の文法も数学の図形問題も、もう何もかも忘れていて本当にマズい。現役で学生だった頃にも「あ〜これ前覚えたのにやり方忘れたわ」ってことは何度もあったけど、その記憶の欠落が起こる速度がもう爆速になってしまった。使わなきゃ忘れるのは当然なんだけど、その「使っていない」のは覚えたはずの知識ではなくて知識を引き出すための脳そのもの。

まぁこの際もういいんです。勉強したことが思い出せなくなるのは。だってそれらを使わなきゃいけない場面は別にそう多くないし、さすがに小学生レベルで勉強したことは覚えてるし、そんなに困ることはない。本当に困っていることは現役で勉強していた時に比べて単純に記憶力が落ちてることです。これが本当に深刻で、2分前に言われたことをもう覚えてないとかがザラ。まだ認知症になるような歳じゃないと思うので、この話の結論はこうです。

勉強をしなくなると、脳の機能が急速に衰えの一途を辿る。

そしてこの結論が冒頭に述べた「勉強ができることと賢く頭を使えることとは違う」ということに繋がってくるわけよ。

端的に言うと、これは間違ってはいない。でも、勉強をしない人間は脳の機能が衰えていく。「賢く頭を使う」ということがどんどん難しくなっていく。

それに、勉強ができるに越したことはありません。知識や思考のアプローチが豊富ならば、それだけ多様で豊富な結論に辿り着ける。選択肢が多いというのは絶対的な強さです。

勉強ができることと賢く頭を使えることとは違うものなのかもしれない。でも、それらには深く関係があって、勉強ができるだけではその知識の利用に繋げるのにハードルが高くて、逆に賢く頭を使えても勉強をしないとその頭は衰えるのみ。

必ずしも苦しんで勉強してほしいとは言わないけれど、賢くある為には勉強をすることが必要不可欠と言ってもいいかもしれない。勉強することからドロップアウトしてしまった俺からの、非常にメタ的で中身のない文章。