バーガーキング ~その王たる威厳~
目が覚めた。やけにハッキリと夢を見た。普段はあまり夢を見ない──見ているけれど覚えていないだけかもしれないが──俺にしては珍しく、記憶に残る夢を見た。
バーガーキングでワッパーを頬張る夢を見た。
外出自粛が取り沙汰される前は、働いているバイト先の近くにあるバーガーキングに足繁く通っていた。少なくとも週1以上の頻度で足を運んでいたバーガーキングだが、残念ながら家の近くにバーガーキングはないんだ。バイト先が休業になって2ヶ月近く経つ今、それと同じだけバーガーキングにも行けてない。
身体がワッパーを欲している。アレはまるで麻薬だ。ワッパーの中毒性は計り知れない。まさしく精神安定剤。天からの贈り物のようなハンバーガーさ。
バーガーキングは素晴らしい飲食店さ。バーガーキングに行こうと思うだけで心が浮き足立つし、ワッパーが入った紙袋を提げて歩く帰り道はスキップしたい気持ちを必死に抑え込まなきゃいけない。ベージュの包み紙を剥がす時なんて、口元が緩むのを抑えられない。バーガーキングは気が利いてるから、包み紙を全て開くと、ハンバーガーが正面を向いてそこに佇んでいてくれる。マクドナルドのように「またハンバーガーが逆さに入ってますね」なんてことは起こらない。かの大物YouTuberも、あのときバーガーキングに行っていれば真っ当な人生を歩めていたかもしれないのさ。
そして遂にワッパーにかぶりつく。この時に衆目を気にしちゃあいけない。頬に付いてしまったコク深いワッパーソースも、口からこぼれ落ちそうになるシャキシャキのレタスをずずっとすする音も、そんなものはどうだっていい。ただそこに美味なハンバーガーがあって、それを頬張る。食うか、食われるか。たったそれだけのことさ。ワッパーを前にした時、ヒトは獣にならなくちゃいけない。そうすることがワッパーへの礼儀。ワッパーに対するビッグリスペクトを表現するにはこれしかない。傲岸不遜なそのハンバーガーを喰らう我々も、傲慢でなくてはならないんだ。
一呼吸置いてコーラを飲む。その喉越しはどんなビールよりも最高さ。またワッパーを頬張る。無心に喰らいつくワケじゃあない。目の前にワッパーがあれば、それを口に運ばずにはいられないんだ。手は、歯は、胃は、止まらない。
そして最後のひとくちを飲み込んで、紙ナプキンで口と手を拭う。丸めた包み紙には、心地よい満足感と浮ついた切なさが半々。でもこれで終わりじゃない。そう、ポテトがまだ残ってるじゃないか。一心不乱にワッパーと向き合った先程までとは打って変わって、それはまるで別れた恋人を想うバーカウンターの情景。ゆったりとポテトをつまんで、熱くなった体を落ち着かせていく。この時間が切なさを癒してくれるんだ。
ポテトも食べ終わって、いよいよ食事はおしまいさ。コーラのカップを揺すれば、カラコロと氷が歌う。それはまさしく祝福の歌。食材への、そして素晴らしい贈り物をくれたバーガーキングへの感謝の歌だ。ワッパーを食べれば、心が弾けて踊る。テーマパークのどんなアトラクションよりも最高の体験が味わえる。バーガーキングは最高のハンバーガーショップで、ワッパーは本当に最高のハンバーガーだ!
さて、ごちそうさまでした。
俺が1500字くらい語れそうなお題を頂けると大変嬉しい
夜ずっと起きてそのまま朝になると何時に部屋の明かりを消せばいいのかわからないよね。平舘です。
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今回の記事はそんなにしっかりと書きたい内容じゃないけどある程度の返答はしたいなというお題を消化するものです。
お題の投稿、ありがとうございます。
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自撮り
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いや自撮りに対してなんも思ってることねえよ。自分の顔がそんなに嫌いじゃなくてそれをインターネットに晒すことにも抵抗がないからやってるだけだよ。かっこよく撮れてる俺の顔ってなんかおもろいだろ。それだけだよ。
強いて言うなら自撮りする瞬間よりもそれを加工してよりイケメンに見えるようにするのが楽しいです。自分の肌はそんなに気に入ってないのでそれを綺麗な色にできるとなりたい自分になれた感じがするよね。それにしても別に最近の俺はそんなに自撮りしてる人ではないけど。
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今までオフ会した時に会った面白い人や面白い出来事とかがあれば書いてください
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女の子のフォロワーと会って2人でカラオケに行ってえっちなことをしました。嘘です。
フォロワーと旅行に行った時に、旅館の料理で火にかけられただし汁と一緒に生のイカやキノコが出てきたのにも関わらず、どう考えてもしゃぶしゃぶなのに彼はそれをイカの刺身だと判断して生で食べていました。マジです。めっちゃイジり倒しました。お前そのだし汁をどう使うつもりだったんだよ。
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周りの友人紹介
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・掲載許可を取って回るのがダルい
・友達が少ないわけではないので全員は書ききれない
・それがきっかけで名前を上げなかった人と険悪になりたくない
・それぞれの人の魅力を適切に表現するには俺の文章は稚拙
・他人のふんどしで相撲を取っているみたいで気分のいいものでは無い
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好きなカップ麺について
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以前はぶぶかの油そばのカップ麺が好きでした。今でも好きなんですけどアレ食うと胃もたれが酷いので美味しいのに敬遠してしまう。
ゆるキャン△のせいでカップヌードルカレーに大ハマりしました。これは手頃だし量もちょうどいいし美味しい。
安いと言うとごつ盛りですが、中でも塩焼きそばは美味しいです。ソースより断然好み。マジでいいよ。安くて量が多いので貧乏生活には欠かせない。
焼きそばなら一平ちゃん派です。ペヤングはかやくの感じが好みじゃない。UFOはよく知らない。
ローソンでどん兵衛を買うとごちうさのクリアファイルがついてくるキャンペーンがよくやっていたので、どん兵衛はその流れでよく食べるようになりました。安心する味。これインスタントの。
辛いカップ麺も好きではあるんですが、結局翌日の肛門の具合を想像すると文字通り尻込みしてしまってなかなか食べられません。結構上手いこと言ったなこれ。
寒い自意識と小説家気取り
中学の、確かあれは1年生の頃の話だったと思う。太陽が痛い程ギラギラと照りつける夏の暑い日、学校指定の文房具屋(体操服とか上履きとかを売っている小さい店。タバコ屋も兼ねている)まで歩いて行った帰り道、信号待ちで突っ立っていると見知らぬお婆さんに話しかけられた。
曰く「仕事なんだからちゃんと看板持って立ってなきゃダメじゃないの。こんな風に道に倒しておいたら危ないでしょう」と。
見ると、黒く熱を帯びたアスファルトの上には、確かに看板が寝かされていた。マンションの内覧会か何かを案内する、大きな矢印が描かれた手持ちの看板が。
お婆さんの急な世間話かと思った俺は、はぁとかえぇとか、愛想笑いを浮かべて適当な相槌を打った。
「そうですね、確かにこれじゃ危ない。こっちにでも立て掛けておきましょうか」
そう言って俺はその看板を掴み上げて、通行の邪魔にならないような位置に無造作に立て掛けた。
「あらごめんなさいね。あなたが看板持ちの仕事をしてるのかと思ってしまったわ。全然違う人だったのね」
そのお婆さんは、驚いた顔で俺にそう言った。
驚きたいのはこっちである。当時中1で、ましてや服装だって7分丈のズボンにTシャツ1枚という、決して仕事中と思われるはずもない出で立ちの俺が、まさかお婆さんにその仕事をしていると思われていたなんて想像できるわけもない。既に信号は青く灯り、俺は呆けた顔をしながらそれを渡ることしかできなかった。
7,8年も前のこの出来事を急に思い出した。あれはなんだったのだろうか。今でこそ実年齢よりは僅かばかり老けた顔つきをしている俺だが、当時は中学1年生。年相応に幼い見た目をしていたつもりである。看板持ちのアルバイトに間違われるような要素などどこにあっただろう。
お婆さんの顔など最早全く思い出せやしないが、それでも特になんてことはないこの出来事と、その日のぽっかりと抜け落ちたような機械的に青い空だけは、何故か脳裏にしっかりと焼き付いている。
いやこれ何? なんでこんなの書いてんだ俺?
優雅な百合 - 競馬の話
平舘です。
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ちょいちょい競馬の話をしてるけどハマったきっかけとか好きな馬とかいるの?
あと他のギャンブルはやる?
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お題の投稿、ありがとうございます。
競馬を始めた理由は超シンプル。友達に誘われたから。去年の11月だったと思います。
元々少し興味があったし、誘いを断る理由は何もなかったのであっさり着いていくことに。友達と話しながら探り探りで馬券を買うというのがなかなか楽しかったのです。
ウェブサイトで走る馬や騎手の成績を見比べたり、オッズを見たり、色んな情報を吟味しながら「これだ!」という馬を決める面白さがとても面白く感じました。
確かその競馬人生初日は収支マイナスだったかと思うんですが、それでも全然気が沈むことはなく、むしろこういう頭使って考えるっていう遊びを(音ゲーの譜面研究を除いて)久しぶりにした感じがあったし、かなり刺激的で、新しく良い趣味を見つけられたなという喜びがありました。
それからはその友達と待ち合わせて馬券場によく行くようになり、予定が合わなければ1人でも全然買いに行くようになりました。
穴馬を狙いにいってしまうきらいがあって、正直勝ててるとは言えない感じだったのですが、それでも複勝4.5倍の馬券を買えていたり、最近の話ですが'20きさらぎ賞で7番人気のコルテジアを見抜いたりと(グランレイとの馬連で買ってしまったので勝てたわけではなかったけど)、みんなが気づいてない馬を当てられた時の気持ちよさは素晴らしくてとても楽しんで競馬をやっていました。
そして来たる有馬記念2019。競馬を知らなかった頃でも名前だけは聞いた事があるような、1年の総決算のレースを迎えます。有馬記念直前の気合いの入れ方は尋常ではなく、1週間前からめちゃくちゃ調べまくって有馬記念のことだけを考えていました。
皆がアーモンドアイだアーモンドアイだと口にする、そんな中で俺の目を惹いたのは、リスグラシューでした。
出走馬の過去のレースを色々と見比べていった中で一際輝いていたのが、オーストラリアG1、リスグラシューの前走にあたるコックスプレートでした。最終コーナーからグイッ伸びて突っ走るリスグラシューのその姿にとても感動したのを覚えています。
「アーモンドアイに勝る馬はコイツしかいない」と、初心者ながらに目をつけたリスグラシュー。調べれば調べるほど、リスグラシューが勝つ未来しか見えなくなりました。
けれど何を不安に思ったのか、有馬記念の前日、いや当日の午前2時頃。どんな予想サイトにも決まって書かれている「◎アーモンドアイ」。出走記録にずらりと並ぶ1着。今思えば馬鹿な話ですが、それまで必死に調べて考えてきた予想を全部捨てて「アーモンドアイ買っときゃ間違いねえだろ!」と楽観視。当日握りしめた馬券に書かれるは「9️⃣アーモンドアイ」。
結果はご存知の通り。中団から颯爽と上がってきたのは赤い帽子、リスグラシュー。そのまま中山の芝生を蹴り飛ばし、混戦の中、それでも確かに外へ回って抜きん出て先頭で走り切ったリスグラシューの姿は、絶対に忘れられません。もちろん大外から駆けるサートゥルナーリアも、最後尾からの異常な追い上げを見せるワールドプレミアも、あのレースは本当に何度見ても飽きを感じない。
そして最強と謳われたアーモンドアイ。何を思ったか場の空気に流されて馬券を買ったその馬は、上がりきれずに9着。
結果としては競馬にはボロ負け。流されずにリスグラシューの馬券を買っておけばよかったと何度も後悔しました。けれどあのリスグラシューが走る姿の輝かしさを見れば、悔しいけれどもどこか清々しくすら感じました。
まさにその有馬記念2019で、すっかり競馬の虜になってしまいました。それと同時にリスグラシューのファンになってしまったことは言うまでもありません。けれどリスグラシューにとって、その有馬記念が引退レース。正しく「有終の美」を飾ったわけですが、あのカッコイイとしか言い様のないリスグラシューの走る姿を見ることはもう叶わないと思うと、本当に寂しく感じます。
そんな有馬記念を経験して、競馬がより一層好きになることこそあれど、飽きることなどあるわけがありません。そんなこんなで競馬にすっかりハマってしまったというわけでした。ちゃんちゃん。
ということで、競馬にハマったきっかけは友達に誘われた+有馬2019が衝撃的すぎたこと。好きな馬はリスグラシュー。他のギャンブルはやってません(カジノに興味はある)。
あの有馬記念のような、本当に手に汗握るレースを、また見たいです。見たいよね。
宅配健康
ハチミツを入れたマグカップに牛乳を注いでレンジで温めてそれにシナモンシュガーをまぶした飲み物にハマっています。とても甘いけれど、シナモンのスパイス感で甘ったるくはなくて飲みやすいです。平舘です。
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健康に生きていくために何かしてることあれば書いてください
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お題の投稿、ありがとうございます。
全く健康に生きてるとは言えない俺にそれを聞くとは、すごいな。勇気あるな。不健康になりたいんかな。
そうですね、健康のためにやっている事ですか。困ったな、そんなにないんだけどな。例えばそうだなぁ。
ここ数日はだいたい14時くらいに寝て19時~0時くらいのあいだに起きる生活をしています。まともな時間に寝たほうがいいです。
事業所移転の派遣バイトをたまにしているので、普段はそれで運動した気になっています。が、その仕事も4月になってから現場がなくなって入っていないので、20分程度の散歩を除けば何も運動していません。運動はしたほうがいいです。
休みの日はずっとベッドの上で横になり、極力動かないようにしています。せめて座ったりして体を起こしておいたほうがいいです。
体を横たえておくと体力をほとんど消費しないので、空腹感を満たす程度にお菓子をつまんだり炭水化物を口にしたりするだけで済みます。美味しくて栄養バランスのとれた食事をしたほうがいいです。
お酒は好きで、毎日というわけではないですがそこそこ飲みます。飲まないほうがいいです。
タバコは日に5~10本ほどと、とても多いわけではないですが嗜みます。吸わないほうがいいです。
こんな感じに、体にいいこととは真反対のことしかしていないです。ダメ人間すぎる。
でも健康ってもうひとつあると思うんですよね。心の健康。
まぁ、だからと言って心がとっても健やかなのかと言われたら全くそんなことはないんですが、せめて多少なりとも健康な精神を保てるようにしていることはないこともないです。
例えばお気に入りのお菓子や飲み物をルーティンのように食べたり飲んだりするとか、あるいは心をからっぽにしてできるゲームやらスポーツやらを見つけるとか。
それから自尊心を満たせる何かを見つけるとか。
自尊心ってすごいんですよ。それがあると精神衛生上すごくいい。充足感がヤバいです。ていうか自尊心が満ちてないとどんどん気が沈んでいってゲロ吐きそうなくらいの無力感に落ちていっちゃいます。
自尊心。存在している意味、これだけは負けないという、自分の取り柄。そんなものがあった頃の俺はとても輝いていたし、その満ち足りていた自尊心を打ち砕かれた瞬間には、それはもうまるで日食が起きたかのように不気味で薄暗い世界に包まれて身動きが取れなくなる。
自尊心から来る充足感がなくなるというのは、大切な支柱が抜け落ちるみたいに、いとも簡単に精神の崩落が起こってしまいます。
自分の精神の支柱に成り得る何か、自尊心を得られる何かを作っておく事が健康に直結すると思います。それがたくさんあった頃の俺は、明らかに今よりも健康で幸福だった。
そんな自尊と充足とアイデンティティをテーマにした、数年ぶりのエッセイ作品を執筆中です。近日公開予定。2020年のうちに出せたらいいな。
そういえば心の健康が侵されている人のことはメンヘラと言うけれど、身体が不健康な人のことはボデヘラって言わないよね。
【ネタバレ無】ヱヴァ新劇3作が無料公開されているのでエヴァとは何かを解説します
無理です。
何度も見ている僕でも何なのかさっぱり分かりませんので内容に対する解説はできません。
というわけでエヴァンゲリオン超初心者向けの、シンジ君でもわかるネタバレにならない程度の各作品に対する説明とかをします。このブログ内には僕の偏見や間違った理解が多数存在している可能性があります。ご了承下さい。
2020年4月20日から4月30日までの期間限定で、株式会社カラー公式YouTubeチャンネル及びスマートフォンアプリ「EVA-EXTRA」にて、ヱヴァンゲリヲン新劇場版の3作が無料公開されています。
エヴァンゲリオンってなに?
庵野秀明監督が作ったアニメです。
汎用人型決戦兵器(とどのつまりパイロットが搭乗するタイプのロボ)(エヴァンゲリオンのことをロボって言うとコアなファンは怒るよ、怒る理由は本編を見て確かめよう)であるところのエヴァンゲリオン、そのパイロットとして主人公の碇シンジ君14歳が選出され、迷いや大人からの重圧、他のパイロットとの人間関係などと戦いながら、どこからかやってくる謎の生命体「使徒」とも戦うというヒューマンドラマ×SFアクションです。
例えばガンダムなどのロボアクションは「それぞれの正義のためにロボ同士で戦う」作品ですが、エヴァは「既に退廃している地球で、謎のめっちゃ強い外敵から地球を守るためにわけもわからず戦わせられる」という作品です。ロボ同士のバトルが見たかったらそれには応えられないと思います(まぁそれが全くないってことはないんだけど)。
期待をめっちゃ裏切るアニメです。良くも悪くも。
作品多くない?
そもそもは1995年にテレビ東京系列で放送開始された夕方のTVアニメ全26話に端を発します。その当時は内容の難しさが裏目に出て今ほどの人気を博さなかった(でもTVアニメで視聴率7%アベレージはすごい)んですが、それでもだんだんと人々の注目を集め、最終回の視聴率は10%超えを記録します。
ただそこで、話題になってるからと言って最終回だけ見ちゃった人たちが大問題でした。TVシリーズ最終回は、意味わからないエヴァの中でも屈指のマジ意味がわからない回(後述の新劇Qと同じくらい意味わかんない)でして、みんな何コレとなっちゃうわけです。ここまで全話通して見てきた人ですら理解不能な回ですから、みんななんとか理解しようと過去の話を見返したがります。そこで再放送に注目が集まります。それが1997年のこと。
1997年のTVシリーズ再放送は、放映されることが決定した映画「新世紀エヴァンゲリオン劇場版 シト新生」に合わせて行われたもので、この映画はTVシリーズ第壱話〜第弐拾四話の総集編によって成る「DEATH」と、第25話前半がリメイク(とは言うもののTVシリーズから枝分かれしたほぼ完全新作)された「REBIRTH」の2部構成の映画です。今これを見ようとするにはBlu-ray Boxを買うしかないのですが、その必要はありません。何故かと言うと……(後述)
次いで公開された映画は「新世紀エヴァンゲリオン劇場版 Air/まごころを、君に」。こちらは前作「シト新生」において第25話前半までしか描かれなかったREBIRTHを完結させた作品です。つまり、TVシリーズから枝分かれした第25・26話の完成品。
これが公開されたのは1997年7月、シト新生公開の約4ヶ月後のことです。
そして更に公開されたのが「REVIVAL OF EVANGELION 新世紀エヴァンゲリオン劇場版 DEATH(TRUE)²/Air/まごころを、君に」。
「Air/まごころを、君に」は、「シト新生」REBIRTHの完成品だと先に述べましたが、それに付随されて公開されたこの作品の「DEATH(TRUE)²」とは、「シト新生」DEATH部分のリメイク版(正式にはこれはリリメイク版で、リメイク版としてはこの作品公開の少し前にWOWOWで放映された「DEATH(TRUE)」が存在しているけど無視していい)です。
この1本の映画は、「DEATH(TRUE)²」と「Air/まごころを、君に」との2つに分けられて映像ソフト化、Netflixでの配信などがなされています。
つまり、しり切れとんぼで終わっちゃった「シト新生」をちゃんと作ったものが「DEATH(TRUE)²」「Air/まごころを、君に」というわけです。
で、とりあえずここまでで「新世紀エヴァンゲリオン」は完結しています。
じゃあ今YouTubeで公開されてる「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:」シリーズってなんだよっていうと、うーん、なんていうんだろう、庵野は元々「リビルド」「再構築」っていう言葉を使ってたけど、うーん。
初心者向けに言うと「設定の一部を同じくしてストーリーも踏襲してるけど実際のところ全然違う話になっちゃってるし新機体も新キャラも出てくる全く新しいエヴァの話」ですかね…。全4部作の劇場作品からなるストーリーです。これで伝わっただろうか。
ちなみにヱヴァ新劇場版が世に出てからは、TVシリーズとその続きによって構成される「新世紀エヴァンゲリオン」は、20世紀に公開された作品であることや、新劇場版では「世紀」という語句が使われていないことに由来して「旧世紀版」などと呼ばれて区別されます。
というわけでTVシリーズの放送から12年経とうとしている2007年9月に放映されたのが前編「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序」。ヤシマ作戦(ティンパニの音が特徴的な有名なBGMのシーン)までを描いた作品で、こちらは旧世紀版第壱〜第六話の内容になぞらえて作られていますので、初心者にとっては旧世紀版を再び見せられている気分になると思います。コアなファンからしたら全く違う作品なんですが。
そして2008年の春に公開すると予告しておきながら実際に公開されたのは2009年6月、新劇場版第2作目、中編「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破」。これは旧世紀版で言うとアスカ(背中が透けてるめっちゃスケベなプラグスーツを着る「あんたバカぁ?」で有名な女の子)が登場する第八話あたりから第拾九話ゼルエル戦あたりまでを描いている形になるのですが、旧世紀版とは大幅にストーリーが変わり、新劇場版が面白くなってくるところです。まさに序破急の「破」。正直破はめっちゃ面白い。
破がめっちゃ気になるところで終わり、みんなが今か今かと待ちわびた、当初の予定では2008年初夏に公開と言われたものの結局2012年11月の公開となった、新劇場版後編「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q」。旧世紀版の話数で説明することは不可能なまでに物語は分岐して、3年待たされた視聴者はおろか、作中で知らんうちに14年経ってた主人公シンジ君すらも置いてけぼりにする驚異の意味不明ストーリー。1度見ただけではおよそ何が起きたのかすら理解不能なその構成に、ファンもにわかもみんなドン引き。庵野秀明ここにありと世界中に見せつける衝撃作。
Qの公開から8年弱、当初の計画からは丸12年遅れ、それでもやっと2020年6月に公開できそうな感じになってたのに件のウィルスの影響でまた公開未定の延期になってしまった新劇場版4部作の完結編「シン・エヴァンゲリオン劇場版:||」。たのしみ。
という形になります。理解してほしいのは、作品数が多いように見えるけど、映像作品としては「旧世紀版」「新劇場版」の2系統に分類できるということです。
ガルパンよりは多いけど、とあるシリーズよりは少ないですよ。
どれから見ればいいの?
新劇場版は「序」→「破」→「Q」の順で見てください。
旧世紀版は第弍拾四話以降が「TVシリーズ版」と「Air/まごころを、君に」に分岐します。TVシリーズ全26話を見て、そのおさらいとして「DEATH(TRUE)²」を見て、分岐したストーリーの「Air/まごころを、君に」を見るという形が良いと思います。
ただ、「DEATH(TRUE)²」を見れば誰でも第弍拾四話までの話が理解できるかというと全くそんなことはない、総集編としての役割を果たしてないんじゃないかみたいな内容なので、TVシリーズを第弍拾四話まで思い切って見返してから「Air/まごころを、君に」を見てもいいかもしれません。
何にせよ、TVシリーズの正当な全26話のほうから先に見て、その後に「DEATH(TRUE)²」と「Air/まごころを、君に」を見てほしいです。
僕が最初に見たときは
①TVシリーズ全26話
②DEATH(TRUE)²
③Air/まごころを、君に
④新劇場版 序
⑤同 破
⑥同 Q
の順でした。
が、今YouTubeで見られるのは新劇場版の3作ですし、新劇場版だけしか見なくてもエヴァンゲリオンの魅力は十二分に伝わると思います。ストーリーもとりあえずはひと通りの順になっているし。
オタク的には「旧世紀版が前提にあってこその新劇場版」と思ってしまいがちなんですが、新劇場版と旧世紀版とは全く別の作品であるとも言えます。なのでまずは、無料で見られる今のうちにでも、新劇場版の、序と破だけでも見てみてください。
旧世紀版は諸般の事情から作りが雑だったり間延びしていたりします。静止画1枚だけで2分近く沈黙するシーンすらあります。そういうヤバさは新劇場版にはないし、映像も新劇場版のほうが美麗です。初心者に安心して進められるのはどちらかと言えば新劇場版のほうかもしれません。
それでエヴァの呪縛に取り憑かれたら、旧世紀版も見てみてください。Blu-ray Boxは¥18,000で買えるし、TSUTAYAでもDVDが借りられるはずだし、Netflixでも配信がされています。
で、エヴァンゲリオンってなに?
わからん。
けれど、こんだけ意味のわからない作品なのにも関わらず、世代を超えて多くの人が魅了されているという、凄まじい作品であることは確かです。是非、気軽に視聴できるこの機会にエヴァンゲリオンに触れてみてください。マジですげえから。
www.eva-info.jp
www.youtube.com
ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序 EVANGELION 1.11 YOU ARE (NOT) ALONE. - YouTube
ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破 EVANGELION 2.22 YOU CAN (NOT) ADVANCE. - YouTube
ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q EVANGELION 3.33 YOU CAN (NOT) REDO. - YouTube
冗談とデマの境目はどこに存在するのか
実は今まで隠してきたんですけど羽生結弦くんとはいとこ同士です。嘘です。
前の記事から半年近く間が空いてしまいました。申し訳ない。平舘です。
嘘が好きなんですよね。嘘を言うのも、言われるのも好きです。
嘘って面白いですから。薄味の生活にスパイスをもたらしてくれる。
普段の発言の6割くらいは嘘です。人を笑わせたり、あるいは人が騙されている姿を見て笑ったりするための嘘。でもこういうのも虚言癖になっちゃうんですかね。ちゃんと嘘だと自覚しているし、冗談である旨をタネ明かしもしてますけど。
それで今回の話題は、或る友達に言った冗談の話です。
その友達は現バイト先の同僚で、バイト先の中では結構仲のいいほうです。俺が普段から嘘しか言わないことなんて知ってるであろう関係です。LINEやTwitterやインスタも交換しています。
3月末、その友達と一緒にご飯を食べている時に「旅館の仲居としてリゾートバイトをしたい」ということを話しました。これは嘘ではなく本心で思っていることです。
そして4月1日、僕はTwitterでこちらのツイートをしました。
もう21になる年度になってしまったってことでついに親から家を追い出されてマジで路頭に迷ってる 金もないのに
— ひらたて (@070_409_2522) 2020年4月1日
もちろん嘘です。エイプリルフールなので。
さらに彼にはLINEで「店長にバイトを辞めるって伝えた」と送りました。もちろん嘘です。エイプリルフールなので。
まぁ確かにここまで、一連の流れのような嘘を言ってしまった俺も悪いのですが(というか嘘を言っている時点で全面的に俺が悪い)、めちゃくちゃ心配させてしょんぼりさせてしまいまして。申し訳ないことをしたなぁとちょっと反省しました。
これは個人的についた嘘で個人的な範囲で騙してしまった例ですが、特にTwitterでは個人的・身内で面白がる程度の冗談が広がってしまって、デマだと批判される例をよく見ますよね。ああいうのを見ると批判されている人が可哀想で仕方ないなと思うんですよ。
冗談を冗談と認識できない人ってどういうことなのか理解ができなくて(これはそういう人たちを非難しているわけではなく、ただシンプルに理解ができない)、そういう人たちって冗談だったと分かったらさらに腹を立てているような気がします。なんなんだろうアレは。
ユーモアがないっていうのとはちょっと違う気がします。たぶんそういう人たちもお笑い番組とかは見るだろうし。お笑い芸人のネタなんて全部が「冗談」じゃないですか。嘘や冗談が面白いという感覚は多くの人が共通して持っているはずで、その持っているはずの感覚がTwitterでは失われているというのがよく分からないです。
少し予想できるのは、そういう人たちはTwitterのことを面白ツールだと捉えてないんじゃないかなということですが、俺からして見たらTwitterほど嘘と現実が入り乱れている様が面白い場所なんて他になくて、やっぱり不思議に思えます。
Twitterが大衆に広く普及したからこそ、理解のある人ほど嫌な思いを受ける場所になっているのかもしれないな。
でも冗談とデマの境界を見抜けない人のことを理解できないのと同じように、きっとみんな職にも学にも就かない俺のことも理解できないでしょ? うるせえな自分でも理解できてねえわ。